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今更ながら「電車男」を読んだ(時代遅れで済みませんね!)。素直に楽しめた。その内容は出版化され、関連本がたくさん出て、漫画にもなり、現在映画化も進められている。もちろん、あの内容の全てが真実かどうかはわからない。もし全くの嘘であって一人の人間によって作り出されたものなら、それはそれでなおさら面白い。その男は尊敬するに値する究極のcrazyに違いないだろう。ストーリーはともかく、他のネットユーザーとのinteractionにおいて起こる自然さと偶然を演出するのは並大抵ではないからだ。
もし世の中に起こる目に見える現象というのは、それを引き起こすファクターの氷山の一角であれば、現在の日本という国を舞台に起こった電車男という現象は、その表面下で起こる様々な事象に支えられていなければならない。その事象は現在過去から引き継がれている日本特有のcustomであるに違いない。この現象を特徴づけるのは、2ちゃんねるという媒体、匿名性から来る曖昧さ、オタク文化というサブカルチャー、精神的に未熟な日本人男性像が挙げられる。 まずこの電車男という物語は、2ちゃんねるという巨大掲示板を通して世に排出されたわけだが、この2ちゃんねるが意味するところは何だろうか。これまでの2ちゃんねるは社会的弱者が集い陰口を言い合うという負の側面を負っていたように感じる。最近は覗いたこともないので事情は知らないが、一昔前は誹謗中傷が飛び交い、ある特定の個人や団体のイメージダウンをことごとく成功させていた。彼らに目をつけられた者は奈落の底に落とされる。そのくらいの存在感がかつてあった。 その力を裏付けていたのが誰でも気軽に書き込める匿名性で、社会的立場が問われずに意見を言えるというシステムである。もちろん個人名を記載はできるが誰もそんなことはせず大方はハンドルネームか無記名を使用する。投稿者のIPアドレスから作られるIDがハンドルネームの横に記載されるが、投稿者が接続し直すとそれも変わってしまうので、警察などが介入しない限り、個人の特定は不可能なのである。 こういった個人特定の難しさは2ちゃんねるに始まった事ではない。これは日本のメディアのあり方が引き継がれたといってもいい。新聞の記事がよい例で、欧米では記事一つをとっても記載者の氏名が表記される。一方で日本では現在、毎日新聞以外の新聞社は署名のないケースが殆どで、個人の意見が組織に埋没している状況だ。文責の所在がはっきりしていないという点が2ちゃんねると同じなのである。 これは日本という国で個人が自立し切れていない現状を物語っているのではないか。自立できない個人は組織に依存し、組織が責任を負う変わりに、個人はその組織という共同体の力を全面的に利用することができる。この構図は何か失態があればその集団の頭領が責任を取って切腹するというサムライ社会の秩序に似ている。2ちゃんねるに参加すれば、その巨大なコミュニティが作り出す世論をあたかも自分が作り出しているという感覚を得ることができるのだ。 次に挙げられる特徴として、匿名性がもたらす曖昧さがある。それにはまず責任の所在が挙げられる。時々2ちゃんねるで犯行声明を行った青年が逮捕されるというニュースを見る。これは責任が個人にあることを示す。しかし、この電車男の場合、著作権はどこにあるのかというと、2ちゃんねるにある。出版化や映画化などででる収益は責任者の西村博之氏にいくのである。これは青色発光ダイオード(LED)の発明で莫大な収益を得た日亜化学工業と発明者中村修二氏との関係に似ている。発明の対価は殆ど発明者ではなく、その人が属する組織に与えられる。平たく言うと日本ではピンはねがまかり通るのである。 その他の曖昧さとして、誰が言っているのか解らない、嘘か本当かわからない、ということがいえる。匿名なので誰が言っているのか解らないのは当然なのだが、時々それを利用して自作自演をする者が現れる。自分で発言したことについて、IDを変えて自分自身でコメントをつけるのだ。傍から見ていると、複数の人間がコミュニケーションをとっているように見えるが、実際は一人の人間が行っているに過ぎない。 そういった不確かさがあり、実際あのストーリーが本当だったかどうかは観るものは当然、当事者にもわからないし、いったいどれほどの数の人間がリアルタイムに参加していたのかも不明なのである。もしかしたらたった二人の人間が作り出した可能性も否定はできない。しかし、そんなことを気にしなければ、たくさんの人間と関わったという充実感を覚える事ができるのだ。 それでは、この2ちゃんねるという日本特有の媒体を利用するユーザーとはいったいどういう存在なのか。一言で言うと、オタクである。オタクはマニアや非社会性というconnotationを有する一方で、外に出ずに自宅に滞在しているというのが基本的な前提だ。この言葉は面白い言葉で、もともと「お宅」という二人称を指す尊敬語が転じたものだが、宅には元来住まいの意味も含まれているのが興味深い。 この自宅に滞在するという習慣は、戦国時代では人口の8割が農民という遠い祖先が農耕民族である日本人にとって切っても切れない関係がありそうだ。彼らは空いた時間さえあれば、農具を修理したり藁をもんだり草鞋を編むという習慣があった。これは長時間室内に座り続け指先を扱うという点において、ネットをするという行動と類似している。狩猟民族がルーツの欧米人は日本人に比べてじっとしているのが極端に苦手である。室内活動が中心のオタク文化というのは農耕民族をルーツにする日本人にとって必然的なものであったといえるのかもしれない。 そして、何よりも面白いのが電車男のメンタリティである。彼はヒロインを 暴力的な爺さんから守るという勇敢さを見せるのだが、彼女に告白する時に、「女の人にこんなにやさしくされたことがなかったから」と号泣してしまう。日本以外でこういうシチュエーションが受け入れられるのは到底考えられない。というのも、彼らは男の力強さを強調する傾向がある。その後、ヒロインは主人公をよしよしいい子いい子してあげているのだが、いったい何なんだこれは。酔っ払いの爺さんから守るという時点で実は勇敢でもなんでもないのだが、オタクたちの間ではこれは立派な賞賛に値する行為なのである。そして、現在の日本ではオタク層はかなり浸透し、そこから生まれるアニメや漫画は世界へ発信されている。 しかしこの貧弱な主人公像というのは最近始まったものではなくて、自虐的なキャラクターというのは戦後日本では数多く受け入れられてきた。文学の世界では太宰治、歌手では尾崎豊、最近のもので、アニメでは新世紀エヴァンゲリオンなどがある。サッカー選手でいえば、中村俊介選手がこれにあたるかもしれない。これらの人々に共通して言えるのは見る側の同情を誘いだす手法を使う点だ。私は弱い存在であなた方と一緒ですよ、ということを呼びかけ、それに呼応した人々の中で共同体ができる。つまり、弱さの一体感を演出するのである。 自称オタクの電車男はそれを地でいっているといえるだろう。しかし、弱さだけの人間をだれも愛するわけはなく、むしろ、その中にある美しさといったものがなければ、その魅力は成立しない。電車男の場合はそれが、誠意であり、やさしさであり、一途さであったのかもしれない。そして、そういった美しさとは縁を遠くした社会的底辺に存在するコミュニティの中から彼は生まれた。そこに電車男というヒロイズムが成り立つのではないか。
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【2005/05/10 17:15】 書 (Literature) | トラックバック(1) | コメント(2) | Clip!! ![]() |
Yahoo!NEWSの教師の不祥事というセクションのページで見つけた「学力急落、わいせつ教員急増」というリンクの社説で、子供の読解力低下を取り上げていました。
実際、文章の正しい理解力なくして、数学や科学の設問に対応できず、本や新聞を読むのも大儀になり、社会や世界への興味、理解が限定されてしまう。文科省は「(読解力低下の原因は)テレビ視聴時間増、読書減、コンピューターの浸透など、言語環境変化の影響では」と指摘した。気が付いた点をいくつか。 この社説では学力の低下の原因の一つとして語彙力、読解力の低下を挙げ、それを言語環境変化の影響と指摘しています。この環境変化の一つとして、テレビや漫画の浸透はもちろんそうですが、「良質の文章が減った」ことが見落としがちになっているのではないでしょうか。最近のニュース記事や社説やエッセイなどでは漢字とひらがなの比率では圧倒的にひらがなの方が多い。逆に和製英語などの外来語が漢字にとって換わっているのかというとそうでもない。少ない文字数で数多くの概念をホールドする名詞の数が極端に減っている印象を受けます。 誌上での文字のサイズは大きくなり、私をわたしと掲載したり、筆力と情報力のない掲載者側の原稿文字数を埋めるための戦略とさえ感じます。天声人語は一時期受験生の模範とされたが、最近のものはめっきり質が落ちてしまった。一言で言ってしまえば、読ませない、力強さがない様に感じます。そこには信念と主体性に欠く日本人像が浮かび上がる。読む価値のないものが溢れる中で、読む人が少なくなるのは当然の結果ではないでしょうか。部下の欠点を指摘する上司が自分の欠点をさらけ出す様に、今の現状は知識階層の学力低下が反映された結果といえるのかもしれない。 もう一つ、学力が低下した一方で、上昇した分野があるのではないでしょうか。スポーツ、ゲームやアニメなどのエンタテイメント、ファッションや芸術などです。何れも文字とは読解力とは関わりの少ない、いわば対極に位置するような分野です。日本のアニメや漫画は世界中に広まり、アテネ五輪では史上最多のメダル数を叩き出し、イチローや中田英といった世界で通用するアスリートが登場し、ゲーム機のシェアは世界では日本製のものが殆どです。芸術の分野では千住博や村上隆など日本人アーティストの活躍が目立ってきました。「リング2」などの映画はハリウッドにも進出しています。 これらに共通していえるのは、言語を取り扱う左脳の分野とは対象の右脳を主に使う分野だということです。こいった分野ではイマジネーションや空間認識力、全体を総括する力が必要になります。また、情報認識のプロセスは視覚だけではなく、聴覚もある。つまり、新聞ではなくTVなどで情報を得るようになったということは聴覚の発達を促す可能性もある。その延長上には音楽の分野での発展が期待できるかもしれない。 学力だけが人間の価値を定めるものではない。かといって、それを軽視しているとこれからのグローバルな情報化社会で、経済を知的財産に依存していこうとする日本は生き抜いていけない。しかしまた逆に右脳を使った柔軟な発想力がなければ新しいイノベーションは期待できない。もし、どちらも大事だということであれば、能力の分化の徹底を試みたらどうだろうか、と思います。 平均的になんでもこなせるゼネラリストを育てるのを止めて各分野でのスペシャリストを育てる教育をすればいいのではないでしょうか。教養がなくてもスポーツや絵画の能力があればそれを徹底して伸ばせばいいと思います。これからの日本は各分野でのスペシャリストの集団になって足りないところはそれぞれ補完し合ってゆけばいいのではないでしょうか。 リファレンス 東奥日報 社説 「学力急落、わいせつ教員急増」 2004年12月16日
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【2005/05/08 17:54】 意 (Opinion) | トラックバック(1) | コメント(0) | Clip!! ![]() |
面白い記事を発見!<性体験ある高校生>1割がクラミジア感染 厚労省調査という記事なのですが、クラミジアがどうのこうのというよりとても興味深い事実が発覚。
性交渉の経験者は男子高生が全体の31.1%、女子高生は43.6%。このうちクラミジアに感染していたのは男子6.7%、女子13.1%で、全体では10.6%に達した。年齢別では16歳の女子高生が17.3%で最も高い。欧米の女子高生の感染率は1〜4%で、日本は際立って高いという。この部分ですが、なんと女の子の方が性体験のパーセンテージが高い!つまり、今日の日本では女性の方が性に関しては積極的なのですね。まさか昔からそうなのでしょうか?これは援助交際とか関係してるのかな。しかし、女性はおしとやかに振る舞い、恋愛に関しては受身で男がいつも女を泣かせるなんて図式はもはや存在しない。女が男をふりまわす時代なのだ。なはは、おもしろい。こういうデータ他にもないかな。外国と比較できたら面白いな。 リファレンス 玉木達也 毎日新聞 「<性体験ある高校生>1割がクラミジア感染 厚労省調査」 2005年5月4日
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【2005/05/07 13:10】 聞 (News) | トラックバック(0) | コメント(0) | Clip!! ![]() |
Vi. 「基礎技能」 に関して書くのを忘れていました(笑)。これは、小林氏は「流行の中に不易を求める」と表現していて、移り行く時代の中でも基本的な技能は変わらない、と説明しています。流れの速い今、5年に一度はビジネススタイルを見直さなければならない、とドラッカーは言っているのですが、一方で、表面的なスタイルは変わっても根源的な技術は変わらないとも言っています。
例えば、コンピューターグラフィックの世界は、最新技術が次から次へと開発され、CGクリエイター達はその提供された高度なプログラムを1年に1度、いや半年に一度は覚えなおさないといけない。そこで問題になってくるのが、CGクリエイター自身の中に変わらぬ技術が存在しているかということになります。例えば実写のように見えるCGを造るのに、今は5年前の10分の1の時間とコストで製作可能です。 以前はリアルだというだけでびっくりされていたのが、今はできて当然とされています。もし、作られた映像の中に、リアルに加えてプラスαの何かがなければ、これからは通用しない。それはオリジナルな色彩美であったり、キャラクターの魅力であったりするのだと思います。言い換えれば、最新のコンピュータを使わなくても、それなりにいいものは提供できるということです。つまり、「移り行く情報に依存しないサービスを作り出す技術」を持つ必要がある、というとでしょうか。
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【2005/05/06 21:13】 能 (Ability) | トラックバック(0) | コメント(0) | Clip!! ![]() |
前回、P・F・ドラッカーという人が極めて強い先見力をもっている、そして、「未来を読みきる力 ドラッカーとの対話」という本で小林薫氏は先見力の秘密を分析していると紹介しました。今回はその核を為す6つのファクターについて見ていこうと思います。
i. マクロとミクロ i. 「マクロとミクロ」 - この本ではドラッカーがコンサルティングでアメリカのGMやIBMなどの大企業から日本の百貨店などを相手にしている例を挙げ、大きな大局観から、現場の細部までの視野持っている、としています。ここで注意しておきたいのが、ドラッカーは大きな局面と小さな局面、両方でのソリューションを持ち合わせている、という点です。そして、小林氏はマクロ=経済、ミクロ=経営と表現しています(これについては補足説明が本文中にありません)。だとすると、これは拡大解釈になりますが、経済という学問的に企業の運営をセオリーで捕らえる、ということと、経営というそのセオリーに則って実際に現場で運営、実践する、という関係があるといえるのではないでしょうか。つまり、理論と実践をバランスよく兼ね備えること、といえるでしょう。 ii. 「歴史知識」 − ドラッカーの書いた記事一つをとっても必ず歴史への言及があるそうです。彼は現在の「肉体労働社会から知識情報社会への変動期」を「断絶の時代」と呼んでいるのですが、こういった社会の変化は何百年ごとに起こってきたのだそうです。彼は、ヨーロッパ、アジア、アメリカの歴史に精通していたそうです。確かに、次に何が起こるかを知るためには過去に何が起こってきたかを知る必要があると思います。鶏が1ヶ月前までは毎朝コケコッコーと鳴いていたとして、最近は鳴かなくなったとしたら、何かが起こっている、もしくは起こり得ると考えるのが普通ですね。マクロとミクロが現状把握だとしたら、歴史認識は過去の把握。この二つの「現状」と「過去」をもって初めて「未来」を導き出すことができる、というのは言われてみれば当然かもしれません。ただし、これだけでは次に何が起こりえるかを想像し、言い当てるのは容易ではないと思います。 iii. 「カトリコス(普遍)的思考と観察」 − アメリカの学者(経済学、政治学、経営学など)は200年の深さでその国の社会に限定してものごとをみて判断しようとする、とこの本では述べ、もっとグローバルな視野が必要だとしています。たしかに、視野が広くなると、物事を判断するために掛け合わせるファクターが増える訳ですから、プラスになることには間違いありません。例えば、天気予報などが解り易い例だと思うのですが、あれは人工衛星という俯瞰して自国以外の領域からの天候の流れを把握できて初めてできるもので、自国の領空を下から眺めているだけでは到底台風の動きを分析して予報することなど不可能でしょうね。(天気予報はよく外れますけれども。(笑)) ここまできて平たく言ってしまえば、「広く、深く見識を持つことで先見性は養われる、」ということだと思うのですが、しかしかといって、天気予報で言えば、天候の流れを引き出す本質的なファクター(気圧の流れなど)への認識や、経済で言えば、資本の流れへの本質的な認識(それが何なのか僕は知りません!)がなければ、単に持っている広い視野というのは、先に起こることを予測するには意味を持ってこないのではないでしょうか。つまり、流れを構成しているファクターの本質的な意味合いを知る必要があると思います。 iV. 「能力の多角性」 - ドラッカーのさまざまな職歴を引き合いに出し、マルチ人間の重要性を説いています。彼がオーストリアで学んだのは、心理学、経営学、政治学と多岐にわたり、彼が経た職はというと、イギリスで、マーシャント・バンカー、投資家、ジャーナリスト、アメリカでは大学教授、企業コンサルタント、作家、といったものです。ちなみに趣味は日本美術だそうです。こういった、多様性のある経験は、幅広い視野をもたらし、先見への糧となっているはずです。そして、この経験こそが先ほど述べた、「流れを構成する本質的なファクターの認識」に繋がっているのではないでしょうか。ドラッカーはそれらを体で体感してきたといえるでしょう。 v. 「思考の統合力」 - 残念ながらこの本では多角的な能力がもたらす多様性のある経験と知識をどのようにして統合すかは書かれておりません。ただ、ドラッカーの中ではこれらが上手くまとまって先見性を豊かにしている、と述べています。おそらく、彼のようにそこまで幅広くそして深く経験を積めば自動的に頭の中で統合できるものなのでしょう。ただし、ivで述べた、本質的なものを見抜く力、洞察力がなければ知識を統合しても、間違った浅はかな思考が生まれるだけで、予想はことごとく外れるのではないでしょうか。 ちなみにこの本では洞察力については前章(関係ないところ)で、アナロジー(比喩)の上手さが一つある、としています。何かを説明するときに巧みにアナロジーを使うそうです。例えばドラッカーは、組織のあり方を、指揮者の指示と総譜に従うオーケストラ型とアドリブで個人がその時々の局面をリード・打破していくジャズ型と表現したりします。それから、他の箇所でドラッカーを観察する人、とも呼んでいます。これは個人的な見解ですが、洞察力に秀でた人間というのは、まず、観察を大事にします。 これは紹介するのは恥ずかしい例ですが、僕は昔ゲームセンターで遊んでいたことがありました。その頃、対戦型のサッカーゲームに夢中だったのですが、僕や他の人がプレイ中ずーっと傍らで見ている人がいました。そして時々プレイしてはまた、しばらくは観戦を続けていました。何日か経った後、同じゲームセンターでその人を見つけて勝負してみたのですが、十回ほど挑戦して一度も勝てなかったのを憶えています。他の挑戦者達も同様でした。彼はおそらく、遠くから多くの数のゲームを眺めることで、我々が気づかない勝利のパターンを見つけ出したのだと思います。注意したいのが、彼はただ単に観察に徹していたのではなくて、時々プレイしていました。多分彼の中での勝つ方法論を整理して、トライアンドエラーを繰り返していたのだと思います。そして、いつの日か、最強の黄金律を手に入れた。 実際世の中にいる勝ち組と呼ばれている人たちは、そう呼ばれるためのノウハウをそうやって築いていったのかもしれまん。 追って小林氏が観る先見力を構成する次のファクターを紹介していきます。
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【2005/05/05 20:30】 能 (Ability) | トラックバック(0) | コメント(0) | Clip!! ![]() |
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