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赤い太陽
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アメリカの色彩学の教授が面白いことを言っていました。

「日本人の子供にお絵かきをさせると、太陽を赤く塗る。」


ドキッとして、まさかと思い、そのことを多くの日本人に尋ねると、やはり、多くの子供が赤を使うのは事実のようです。

僕自身は太陽は黄色で塗っていたので、この事実を知った時はショックでした。

これは実は子ども自身にそういう意識があるのではなく、どうやら、彼らを取り巻く大人がそうさせているようです。教室で先生がそういう風に指導すると聞きます。

日の丸の影響が大きいらしいのですが、確実な根拠はありません。いづれにせよ、固定観念がそうさせているのは間違いないでしょう。欧米では黄色が多く使われています。

小学校に行く前の頃だったと思います、信号機の色を「緑と呼んだとき、母親に青と訂正させられたのを思い出します。「何でだろー」、と思いながらも、そんなものなのだろうと思ってきました。

しかし、この場合、正解は存在するのでしょうか。色彩の正確さを求めれば、太陽の赤はありえません。一方で、特別、赤であってはいけない、黄色や白でなくてはいけないという決まりありません。

では、固定観念とは一体どこからやってくるのでしょうか。それも、全く現実とかけ離れた観念とは。

人間は人それぞれ、社会的立場、思考回路、感覚器の働き方は異なっています。しかし、身体的な相違が固定観念の違いを生み出すのでしょうか。社会が作り出していると考えるのが自然だろう、と思います。

つまり、信号の緑色を青と呼ぶほうが社会にとって都合が良かった、太陽を赤と認識する方が、都合が良かった、と考えたほうが自然ではないでしょうか。なぜかは解りませんが、そのときの権力者がそうしたかった理由があるに違いないでしょう。

そう考えた時、これまで全く疑問に思わずに使用している言葉、概念で全く事実とは違うことがたくさんあるはずだということに気がつきます。

以前、日本=農耕民族、欧米=狩猟民族、とこのブログで書いたことがあるのですが、これも全くの固定観念で根拠はありません。指摘されて始めて気がつきました。

学生時代、もし、一人が遅刻をすると、その学年全体のイメージに影響するとよく教師が言われたものでした。一人が悪さをすると、「この学年は行儀が悪い、」、とレッテルを貼られる。これも固定概念の働きの一つでしょう。

イラク戦争だって、イラクオイル戦争、イラク民主主義化戦争と呼んだっていいはずなのに、社会上層部の誰かさんが一方的に決めてしまっている。


パラダイムという言葉を説明する有名な例として、老婆と若い娘が描かれた有名な絵があります。これは一人の女性が描かれているのですが、見方によってどちらともとれるような表現になっています。

そして、違った見方に出会った時、ひとは「あっ」と声を上げてしまいます。これがパラダイムのシフトと呼ばれています。私達の日常ではパラダイムのシフトに溢れているのではないでしょうか。

正義というものについて考えてみます。法律という正義では泥棒は悪です。では、病床のたった一人の母親のために一斤のパンを盗んだ少年に正義はないのでしょうか。

別にその少年を擁護する気はありませんが、彼にとってはその行為は立派な正義に違いありません。ただ、この世に60兆の人間がいれば、60兆通りの正義があるように思います。


どうやら人間の心は知らないところで潜在的にコントロールされているのではないのか、と疑り始めた時、そして、その固定観念という支配からを逃れようとした時、物事は自分の目で確かめてから判断するのが一番なのかもしれません。

人の噂やニュース、ましてや人の教えについても、それらを聞いたとき、それが本当なのかをきちんと自分の目で確かめることが必要なことかもしれません。

もちろん、固定観念の中で生きていれば何も問題はありませんが、社会の中で守られている分、選択の幅は狭まってしまうでしょう。

外国人犯罪が増えるにしたがって、ことあることに犯罪者は~人に違いない、なんて考えは寂しいですね。日本人だって世界に出れば、同様にたくさんレッテルを貼られているわけなんですから。
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【2005/06/06 15:14】 慣 (Custom) | トラックバック(0) | コメント(2) | Clip!!
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The Apprentice Finale of the Third Season
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昨日、The Contenderのフィナーレを観ようとともってTVをつけたら、なんと、タイタニックがやっていました。あれ、おかしいぞ、ということで、時間表をチェックすると、なんと、先週の火曜日に既に放送済みで、見逃してしまいました。かなり悔しい!!それにしてもこちらアメリカのTVの仕組みって良くわからない。時差のために、国内で全国ネットの時間帯を統一するのが難しいのでしょうね。しかし、コンテンダーは毎週日曜日のはずじゃなかったのか。アプレンティスのフィナーレはちゃんと木曜日にやっていたのに・・・結局Sergio氏がチャンピオンになり、$1ミリオンを手にしたようです。こちらから最期の分の放送が見れます。



内定を告げるDonald Trump氏

「You're hired!」と言われて喜ぶKendraさん
(http://apprentice.tv.yahoo.com)


さて、アプレンティスのフィナーレですが、もう放送されてから2週間ほど経ってしまいました。左写真の女性が最終的に勝ち残りました。このフロリダ州出身の26歳の女性。名前をキャンドラさんといいます。この番組に出演する前は不動産屋で働いていたそうです。この人、番組の序盤では、それほど目立った存在ではありませんでしたが、中盤のU2などのPOPミュージシャンのCDオークションのプロジェクトあたりから頭角を現してきました。

エネルギッシュでアグレッシブ。それでいて、冷静で問題点を論理的に指摘し、責任の所在を明確に伝えます。何が必要とされているかを見定め、それを満たすためのビジョンを持ち、考え方が自立しているので、プロジェクトマネージャーを担当する時は、自分の考えを中心にプロジェクトを遂行させます。周りの意見に左右されたりしないので、行動に無駄がなく、その上、彼女が下す判断は決まって的を得たものばかりでした。

第1週では、Dannyという問題児について殆どの人が彼を首にすべきと答えるのに対し、彼女は彼をコントロールできなかったTodのデリゲーションの欠如と、Dannyの現場へ足を運ばなかったことを指摘しています。エピソード12では、車のカタログを一人で作ってしまうという、グラフィックデザインの才能を発揮し、エピソード14では、Tシャツの販売で、数が限 られているということを利用して、限定販売のコピーを前面に打ち出す戦略など、知性溢れるアイディアを持ち合わせています。

なによりも、最期の週でみせた、独断で突き進む力強さと、全くモチベーションのないこれまでの脱落者から選ばれたアシスタント達を引っ張ってゆくリーダーシップ、彼らに愛されていると言われて、思わず嬉し涙をみせる美しさなど、今回のコンテスタントの中では群を抜いた存在でした。

今回第三期のエピソードは、半分の挑戦者の学歴が高卒以下、半分が大学以上というブックスマート対ストリートスマートという構成で始まり、最期は高校中退のTanaさんと大学を卒業しているKandraさんの戦いになりました。どちらも女性で、これまでドナルド・トランプ氏に雇われた二人は男性でしたので、シーズンが始まった頃、次あたり女が来るだろうな、と予想していていたので、思っていた通りになりました。

ただ、この番組、欠点がいくつかあり、二つの組織に分かれて競争するのはいいのですが、その結果をどのように出しているのかを一切見せないため、裏で工作して、本当は勝った方を負けにするなどという「やらせ」がある可能性があります。おそらく、番組をある程度盛り上げるために、やらせはやっているのではないかな、と思います。そして、他の候補者のしょぼさを考えたとき、もしかするとあらかじめ彼女が勝ちやすいように筋書きが組まれていたのかもしれません。それを踏まえても、Kandraさんは十分魅力的に映しだされていました。

そして、最期に彼女が言った非常に興味深い言葉を紹介したいと思います。トランプ氏に学歴のアドバンテージはあると思っているか、と問われた際、「教育は過去の人の過ちを学ぶものです。そして私はそれを学んできた。」と、答えました。はっとさせられました。これは非常にいい言葉だと思います。日本人で高等教育をそのように捕らえることができる人は果たしているでしょうか?確かに、教えとは必要な知識のことであり、それは経験とも言い換えることができ、必要な経験とは必要でなかった経験、つまり失敗に支えられている。

彼女の将来が非常に楽しみです。

関係ないですが、"The Apprentice"でGoogle検索していたところ、イギリス版ザ・アプレンティスを発見しました!こっちはなんだか、硬いというかしっかりしているというか、コンテスタントがこれぞビジネスマンって感じですね。
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【2005/05/31 16:02】 人 (Humans) | トラックバック(0) | コメント(0) | Clip!!
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実力主義社会で享受されるリアリティーショー
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apprentice.jpg

(www.nbc.com)

皆さんアメリカのテレビ事情はご存知でしょうか?こちらでは数年前から「リアリティTVショー(Reality TV Shows)」というジャンルの番組が大流行しています。これは、ドラマや映画などのフィクションに比べて、一般の人々の姿をそのまま映し出す手法を使った演出です。有名なもので、「フィア・ファクター(Fear Factor)」、「アメリカンアイドル(American Idol)」、「サバイバー(Survivor)」等があります。

フィア・ファクターは一般から参加者を募り、蜘蛛の群れの中に手を突っ込んだり、虫を食べたり、アクションスタントなどといった課題を与え、勝ち残ったカップル(男と女のペア)に賞金を与える、というもの。アメリカン・アイドルは、これも全米の一般人からオーディションをし、次のポップスターを掘り出そうという番組です。なんとなくイメージは沸いたかと思います。

日本でも「電波少年」や、題名は忘れましたが、随分と前ナインティ・ナインの司会でテレビ東京がモーニング娘結成のオーディションをやっていた番組も素人を題材にしていましたね。そういえばアメリカ横断ウルトラクイズもその部類ですね。もしかしてリアリティショーって日本発のアイディアだったりして。その辺り、機会があれば調べてみようと思います。

そして、アメリカのリアリティショーの殆どに共通していることが、「生き残り」をテーマにしていることです。一般から応募者を募り、競争させて誰が王座を勝ち取るか、といのと、そのプロセスを描き出します。挑戦者は大抵一つ屋根の下で、脱落するまで他の挑戦者達と同じ暮らしをします。当然友達もできるのですが、競争の過程で敵対関係になり、互いに侮蔑し合ったりします。そういったどろどろの人間関係が大勢の人に受けている大きな要因の一つのようです。

その中で、最近注目を集めているのがNBC局の「ザ・アプレンティス(The Apprentice)」と「ザ・コンテンダー(The Contender)」です。どちらも同じプロデューサーが手がけています。そして、ちょうど先週ザ・アプレンティスのFinal Winnerが決まりました。最後のEliminationは数時間の生中継で行うという大々的な取り上げようで、番組の盛り上がり様を示しています。

この番組はドナルド・トランプというビリオネヤーの不動産王が経営するトランプ財団の運営するプロジェクトマネージャーの地位を勝ち取るというもので、全米から応募者を募り、番組を始めるにあたって16人の候補者に絞ります。そして16週間かけて誰がビジネスリーダーとして優れているかのコンペティションを放送します。今回は3シーズン目で、今まで二人の実力者が実際にトランプ氏に雇われていて、つい先週その3人目が決まったというわけです。

競争する方法として、二つの組織(チーム)に別れ、各チームのプロジェクトマネージャーを一人ずつ決めます。そして、同種同業のプロジェクトをそれぞれ担当し、売り上げや企画の売り込みなどを競います。時には新しい種類のハンバーガーの売り上げ数を競ったり、リーバイスのカタログを作ったり、ペプシーコーラのボルトのデザインを手がけたりします。

この番組のおそらく最も視聴率の高いシーンが、毎週一人脱落者をきめる場面なのですが、負けた方のリーダーとその人が選んだ2~3人のチームメンバーがボードルームに揃い、その中からトランプ氏が名指しで「君は首だ!(You're fired!)」と直接解雇の通達をするのです。これはさすがにかなりの緊張感が演出されています。最初これを観たとき、「何だこのおっさん、偉そうに!」という感情が沸き起こりましたが、その時は彼が世界に名を誇る億万長者だとは知りませんでした。ちなみにこの人自伝も多く出しています。

人を首にするというのはかなりネガティブな行為ですが、この番組を観てなかなか得られない教訓も発見できます。主には、人間関係においての事なのですが、プロジェクトマネージャーになるということは、人を動かすということで、人種、年齢、性別、生まれ育った場所などの社会的背景の違う立場からくる、視点、価値観の違い、バイオリズムの違い、感情の食い違いをまとめなければなりません。

プロジェクト遂行において、まず、ビジョンと方法論のない者達が真っ先に切り落とされ、先にはイニシアティブ、クリエイティブ、リーダーシップを持っているものが生き残ってゆきます。そして何よりも、これは個人的な印象ですが、人の扱い方、関係の持ち方を知っている者がどうやら最後まで生き残るようです。人をぞんざいに扱う者、仲間との協調性に欠ける者、コモンセンスに欠くもの、ねたみを招きその存在に気付かない者、感情をコントロールできない者はどうやら生き残っていません。

そして、先週、その過酷な競争を勝ち残った、凄く魅力的な女性がトランプ財団に加わることになりました。その話を次回にしようと思います。そして、来週ザ・コンテンダーのフィナーレですので、その話もできたらなあ、と思います。

リファレンス
ロゴ引用 WWW.NBC.COM. The Apprentice. http://www.nbc.com/nbc/The_Apprentice/
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【2005/05/23 14:55】 娯 (Entertainment) | トラックバック(0) | コメント(0) | Clip!!
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日本人の魅力とは
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前回、日本人の自信のなさを取り上げました。では、どうすれば、自信が付くようになるのかを考えた時、一般に自信のある人間というのは自分の能力、特に自分の優れているところを自覚していると思います。つまり、いわゆる「取り柄」というものを知っているのだと言えるのではないでしょうか。そこで、日本人の取り柄とは何でしょうか?

まず「日本人は~」と、よく言われるステレオタイプ的な性質と、文化的特質を観てゆきたいと思います。

・おとなしい、物静かである
・優しい
・自己主張をしない、争い事を避ける

こういった側面は、個人的に日本人の冷静で知性に溢れる点を連想させられます。コミュニケーションにおいての消極性とは言い換えると、「空気を読む」などといった言葉で表現されるように、周囲に強調する姿勢が根底にあり、それは第一に観察力と推考する能力によって支えられていると思います。これは相手が自分を利用しないという信頼関係が前提にあり、ある意味ハイレベルなコミュニケーションだといえると思います。

しかし一方で、相手を尊重するがために我慢ばかりしていては、その同調する姿勢というのは結局、主体性の欠如と指摘されても致し方がありません。表では良い顔を振りまき陰では不平不満を口にしたり悪口を言ったりするのは、実は心の中で自己の重要性の欠如を感じている、つまり疎外感を持っている事に他ならず、それはコミュニケーション上の弱者的立場にいると言えるでしょう。

ですので、自分が満足する関係を保つには、相手を尊重する一方で自分の意見をしっかりと持ち、主張するときは主張するというスタンスを持つことができれば、知性ある奥行きのある人間性を表現できるのではないでしょうか。


・手先の器用さ
・細かい気配り

日本の伝統芸術を観たときに一番印象に残る事の一つに、仕上げの丁寧さがあります。工芸品などもそうですが、水墨画や襖絵などの絵画においては、一つの線の細さが際立っています。そこから感じられることは細部への飽くなき探究心と小さなディテールへの配慮です。これは縄文時代から陶器を作り続けてきた血があるのではないでしょうか。指先を良く使う職の人はボケにくいなどど聞きますが、指先を使う作業とは脳の発達に影響があるのかもしれません。

実際、人類と他の動物を区別する上でネックになるのが、言語と道具の使用、二本足歩行とされていますが、この道具を使うというのは手先を使うわけで、これが人類の知能の発達を促進させたのかもしれません。逆にこの発達の過程を考えたとき、言語が使えたから道具を使うようになったと考えるよりは、道具を使うようになりその後言語を使うようになったと考える方が自然に感じます。なぜなら、言語の扱いの方がより複雑だし、確かゴリラかチンパンジーで簡単な道具を扱う種があったと思います(記憶が曖昧ですが)。

この日本人の器用さは、現在様々な分野で見ることができます。食文化では細かな作業を要する料理がたくさんありますよね。西洋人はお寿司など作れないし、箸は使えません。半導体や液晶などの技術も日本人の器用さと関係があるかもしれません。何よりも、言語において漢字というのは世界中の言語の中で一番複雑で、一文字の中にたくさんの画数を保有しています。つまり、文章そのものを観てもアルファベットの国々に比べると器用さ(細かさ)が表現されているのです。


・多神教

日本は仏教や神道が主流だと観られてていますが、無宗教者の数を比べると世界で第一位なのではないでしょうか(確証データはありません)。現在、無くなった兵隊さんやサッカーの監督が神様扱いされているのをみると神の概念が世界の他の国と全く違っている、もしくは完全にそういった概念を持っていないように見受けられます。

神様にすがるということは生活する上で何か精神的支柱を求める時で、神様が必要ないというのは逆に言えば精神的に安定している、といえます。精神的スタビリティとそこから生まれる心の余裕が、たくさんの絶対者を容認する考え方、つまり多神教に繋がっている、といえるかもしれません。その心的ゆとりというのは生活が安定していることに支えられていると思います。

そして安全な安定した生活というのは誰もが持てるものではなく、それはかなり恵まれた環境にいるといえるでしょう。日本人は争い事を好まないと言われますが、言い換えれば、争い事をする必要がない、ともいえますね。争いをしないのかできないのかは定かではありませんが、野獣の世界とはもっともかけ離れた存在と言えるかもしれません。


ここまでで全体的に言えるのは日本人の知能の高さですね。実際スポーツ選手にしても世界で活躍している日本人に共通していることというのはクレバーさだったりしますよね。知能の発達というのは人類の歴史でもあります。ですから、スポーツでの身体能力や国力としての天然資源が不足しているからといって、特に引け目を感じる必要はないですね。そして、個人的に指先の器用さはその人の知性(認識の複雑性)と比例関係にあると観ています。日本人はとにかくその点で強い。これを前面に押し出して利用しない手は無いと思っています。
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【2005/05/21 18:01】 知 (Information) | トラックバック(0) | コメント(0) | Clip!!
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自信のなさと日本
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とても興味深い記事を発見しました!日本人女性を対象に、容姿の自己評価をリサーチしたそうです。

日本は全体的に、自分に対する評価が低い。外見的魅力に満足している人は、各国平均の37%に対し14%で、大きく下回った。「自分の外見を表すのにふさわしい言葉」として「かわいい」「美しい」を挙げた人は0%、「魅力的」もわずか2%だった。
(毎日新聞)
これはいったいどういうことでしょうか?まず考えられる要因として、日本人の謙虚さ、消極性、客観性があるように思います。


もともと、文化的背景として儒教が浸透している日本では、謙虚さや謙遜というのは人を評価する上で非常に重視されていますよね。(残念ながら中国、韓国のデータがなく、それらがあると本当に儒教が謙虚さに影響を与えているのかどうかがわかると思いますのですが)。さらに、日本特有の考え方で、「傲慢な人=和を乱す」的な捕らえ方があると思います。自己を誇大評価せず、主張を心の中にしまっておくというのは、組織の中で統制をとるための価値観として生まれたのかもしれません。

主張する者は集団の頭だけでよく、その他の者が主張しなければ和は乱れない。これは規律と秩序が最優先されてきた国のある種の習慣、生活の知恵なのではないでしょうか。やがてその謙虚さとその裏側にみえる人間的奥ゆかしさというのは、道徳の一部、人格を形成するための美徳の一要素になったように思います。


次に、自己評価の低さというのは行動の消極性とリンクしそうです。基本的に消極的になる、というのは潜在的に何かを恐れている時ですね。そして、消極的な人といのはまず周りの目を気にしますよね。これはどういうことかというと、その人はある共同体に属していて、その中で和を乱すことを恐れるわけですね。つまり、何らかの組織に精神的に依存していることを意味します。

これは僕自身の経験ですが、欧米人とグループで話し合いを持つとき、常に日本人はとにかく自分から話し出さない。彼らは周りの目を気にも留めず、バンバン自分達の感じたことや考え方を言い合います。他人との意見の違いをむしろ楽しんでいるかのようにさえ見えます。しかし、僕も含め日本人はそうはいかず、グループ内での意見や観方の対立に居心地の悪さを覚え、相手の出方を伺った上で目的や理想のずれがあるならば妥協案を織り交ぜながら自分の意見を言う。コミュニケエーションにおいてpassiveだといえるでしょう。

彼ら欧米人の積極性というのは精神的に対話している相手、又はその属する共同体に依存していない、「あなたと私は違います」という考え方が前提で、言い換えれば、「あなたの助けがなくても私は勝手にやっていきます」ということですね。私達日本人はどこかに助け合う精神が前提にあると思います。これは日本人が親切で優しいと呼ばれる所以でもありますね。欧米の価値観、個人のindependenceは、個人の自己責任が根底にあります。失敗も成功もその行動を起こしたその人の責任。従来の日本の終身雇用などに見られた、組織に守ってもらう、という考えは今も根強いのではないでしょうか。

そして、個人主義の競争社会では、もたもたしていると置いていかれるし、主張しなければ利用されるという危機感も自然に植えつけられます。よって、積極的にならざるを得ないという側面もあります。彼らにとって社会で認められるということは、自分からアピールしてゆくことでもあります。自分の欲望は誰かに叶えてもらうのではなくて、自分自身で全うする、という考え方です。会話の中にしろ何にしろactiveに行動する、というのはそのあたりからきているようにも思います。

よって結果、すべてが自己責任でリスク管理が個人に委ねられる環境で育てば、自然と人は自分の判断でやってきたことに自信を持つようになります。逆に言えば、常に重要な行動を誰かに決めてもらっていては自信はつかないですね。そして、彼ら、特に米国人には、内気でおどおどした態度というのは美学に反するようです。それは男性だけでなく女性にも言えることで、アメリカの女性は恋愛や性においてもかなり積極的で、ファッションでの肌の露出度においてもそれはいえます。

深夜のTVで、Girls Gone WildというビデオのCMでは、海のビーチで大勢の人前を女の子がカメラに向かって胸をさらけ出して「イェーイ!」となどとあっけらかんにやっています。ちなみにそれはそういうショットを集める企画のようで、本当に数え切れないほどの女の子が参加しています。

こういう行動は心理的な自信に裏づけされていなければできないのではないでしょうか。自分に自信のある人間は物事をネガティブに考える傾向が少なくなると思いますし、周りのネガティブなリアクションを想定していればそんなことはできないはずです。もしくは、ネガティブな反応に対しても、心の準備として、「あなたはあなた、私は私」と批判をはねつける精神的強さ、つまり自信を持っているといえます。

ここで注意したい点が、リサーチはセレブリティの様な容姿を持っているかとは聞いておらず、他人に比べてどうか、というのと自分の容姿に満足しているかどうかを聞いています。つまり、自分が際立って美しいとは思っていないが、それはそれで満足している、と回答していると判断できます。つまり、自分の容姿の平凡さを認めた上で、それを上回る魅力を総合的に観て確立できていれば、自然と自分自身を肯定的に捉えることができるし、その結果、「こんな顔だけど、私は自分に満足している。逆に、この顔がなければ今の自分は成立しない」、といえることができるのだと思うのです。自信とは欠点をも包括するものであったりしますよね。


一方で、常にポジティブに考える、というのは言い換えればOptimisticとも言うことができ、客観性に欠ける、とも言うことができると思います。これは、アメリカの国際政策に見て取れますね。京都議定書のサインをCO2排出量云々で拒否したり、国連の決議を無視してイラクに侵攻したりと、客観性に著しく欠けているように思います。これは自己主張が行過ぎた状態で自信過剰の裏返しですね。

ここに、自己評価が低いというのは客観性を保ち、冷静に自分を評価できているということもできると思います。そして、よく考えてみると、「他人よりも劣っているか」という問いで、客観が上手く作用していると、どこかに美貌の平均値はあるはずなので、相対的に両側が半々、50%になるはずです。しかし、結果は4人に1人が劣っていると思うと答えています。これでも、50%の2人に一人には程遠いのですが、他の国に比べると、客観性はダントツのようです。このあたりの日本人の知性に救いを感じます。

しかし、真実は常に主観と客観のせめぎ合いだとすれば、いったいそのバランスはどれが理想的なのでしょうか。行動を起こす上で、主観に偏りすぎているとバカにみえるし、客観に頼りすぎると、ネガティブにみえます。どのバランスがこれからの近代化を遂げ複雑化を増してゆく社会で、いい方向に進むか悪く作用するかは誰もわからないと思いますが、多少ばかげていても、時には楽観を保つことができるぐらいがいいのかぁ、と思ったりしますけれども。


今回の調査データで、常にどこかの共同体に属し誰かの助けを期待している消極的で自信のない日本人の姿が浮き彫りになったような気がします。話を単純化させると、自信のある人は積極的になるし、自信のない人は消極的になる。なぜ日本人に自信のない人が多いのかは共同体の庇護を期待しているからではないでしょうか。それは言い換えると、主体性の欠如なのかもしれません。その背景には、厳しい規律で秩序を形成してきた日本の文化があるように思います。同じ調査を男性に向けても同様の結果が出るのではないでしょうか。彼らに時間があればぜひやってもらいたいですね。

リファレンス
毎日新聞 日本女性「自分は他人より劣る」 4人に1人も 2005年5月7日


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【2005/05/15 12:01】 知 (Information) | トラックバック(0) | コメント(0) | Clip!!
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